教養としての日本史 from 受験サプリ
↑の受験サプリの日本史の講義の中で、自分が面白いと思った箇所を抜粋してみます。相変わらず受験ほとんど関係ないです。が、興味深いと思ったので。続きからどうぞ。
だいたい時代順になっています。
- 氷河期は、川の水が凍って海に流れないので海水面は低下した
- 日本は温暖湿潤気候のため化石が残りにくいので、資料が不足している
- 縄文時代は墓や家が全て同じなので、貧富の格差がないことが分かる
- カーボン14、年輪年代法などによって年代を判定する
- 歴史学的な日本には基本的に、近代まで沖縄と北海道は含まれない(別の国として存在していた)
- 縄文時代までは人が人を殺すことはなかった
- 日本に文字が伝わったのは5世紀。それ以前の日本の歴史は文字による日本の歴史書がないので、中国の歴史書の倭についての記述から判別している
- 歴史書は、時の権力者が支配を正当化するために作られる。もちろん捏造も多い
- 日本は中国に柵封された
- 邪馬台国論争は近畿説優位だが、こういう論争があるほうが歴史家が注目を集めるので、あえて結論は出さずにいるらしい
- 日本の歴史書には失敗した遣隋使をなかったことにしようとわざと歴史書に書かなかったが、中国の歴史書に克明に書かれているので判明した
- 政治界と経済界の対立はすでにこのころからあったという
- 8世紀は律令国家の世紀、10世紀から王朝国家の世紀
- 10世紀ごろから権力が分散化する
- それまであった行政区分の国・郡・里はなくなり、国の下に荘園か公領か、というスタイル。割合は五分五分
- 11世紀に院政が始まる
- 伊藤という苗字は伊勢の藤原、佐藤という苗字は佐野の藤原
- 紅白歌合戦や、運動会の紅白は、源平合戦の旗の色が由来
- 日本は、鎌倉・室町・江戸、と武家政権が700年続く特殊な国
- 守護・地頭は荘園公領制の管理人と同じ、源頼朝に任命されて名前が変わるだけ
- 地頭=御家人
- 地頭にならずに荘官・郷司のままでいるものも多かった
- 鎌倉時代は、鎌倉幕府と朝廷の二元的支配が行われていた
- 「~~の」と読むのは「氏」、真ん中が苗字、その次が名前
- 元寇は、北条時宗(17)が服属を拒否したため攻めてきた
- 金(Gold)は現代でも50mプール4杯分しかない
- いつまた攻めてくるか分からない元寇への警戒が財政的にも精神的にも堪えた。室町のはじめまで続く
- 鎌倉時代にはお金を使って買い物をする習慣があった
- 室町幕府は「鎌倉幕府その2」
- 室町時代は下克上の時代
- 村の団結力は室町時代の後半に発生
- 1482年 日本ではじめての一揆、偶然だがハレー彗星が到来した年でもある
- 鎌倉時代に始めて第1・2・3次産業が揃った
- 交通が発達するのは荘園公領体制によって都にむけての交通の便の必要に駆られてから
- 鎌倉時代になって鎌倉と京都の交通も
- 和紙の原料は楮
- 灯油の原料は荏胡麻、のち菜種油
- 麻の原料は苧(お)
- 四日市という名前は、月の4日に市場が開かれた名残り
- 財布というのは元々鎌倉時代に振り込み証明書や領収書を入れるためのもの
- 今、お祭りの屋台で、いつも同じ場所に同じ人が出してたら、その人が有力な人の可能性あり
- 中世は統一貨幣はない。単位は全部銭1枚しかなく、両替の基準は人それぞれ→混乱
- 原始→古代→中世→近世 近世は武家による天下統一の時代 ペリー来航の前日まで
- 大航海時代の影の英雄は羅針盤の発明
- ヨーロッパ人はアフリカ経由で海でアジアへ 陸路は中央アジアにイスラム教徒がいるので無理
- 南蛮人という呼び方は航路で南から来るから
- オランダ人の平均身長は181cmで世界一
- 日本人は南蛮貿易で初めて砂糖の存在を知った
- 鉄砲の伝来で戦国時代は鉄砲を持っているかどうかで勝負が決まるようになって早期降参の戦が増え、終わりへ向かう
- また城の作り方も変わり、騎馬戦の時代は本陣は山の上にあったが、鉄砲の時代は平地に、壁や堀を増やした
- ペリーは日本人からしたら有名だがアメリカ人の中での知名度は高くない
- 地球儀、めがね、帽子、毛皮は貿易によってその存在を知ることになる
- 1600年の日本の人口は1600万人くらい
- 安土・桃山時代は城の名前から。織豊政権1573年に室町将軍を追放して開始
- 織田信長は放火魔。闘争の中で寺をよく燃やす
- 豊臣秀吉は羽柴秀吉、本名は木下藤吉郎。 柴田に気に入られるために改名
- 豊臣という苗字は1586年に太政大臣になって天皇からもらった
- 1590年に天下統一 by 豊臣
- 太閤検地で単位の標準化が推し進められる 面積、重量
- 何万石の大名というのは、米の取れ高の単位
- 土地所有権が生まれるのは明治時代 それまでは殿様のもの
- ここにきて荘園公領制は完全に崩壊
- このときは一生武士として生きるか、一生農民として生きるかの選択、変更できない。下克上時代の終わり
- 豊臣秀吉は石高競争に興味がなく、貿易に興味があった
- 16世紀末、日本は海軍が弱いため、中国に行く前に朝鮮を侵略した
- 関が原の戦いは時間にして2時間ほどの戦い
- 田分(たわ)けもの=田んぼを分けるもの 愚かなこと
- 江戸時代の武士は公務員
- 江戸時代のえた・非人は、農民のガス抜きのために意図的に作られたいわれのない差別
- えたは身分差別で現代の部落差別の元凶、非人は猿回しなどに対する職業差別
- 鎖国により貿易拠点を平戸と長崎に限定したが、オランダ・イギリスは問題ない(大使館が平戸にあるから)。スペイン・ポルトガルは大ダメージ
- 世界チャンピオンは4代 西・葡、蘭、英、米
- 鎖国というワードはヨーロッパからの視点で、中国朝鮮琉球オランダ北海道と、実際には全体的には交流は活発
- 鎖国はキリスト教の禁止と貿易の独占が目的
- 1635年に日本人の出入りを全面禁止
- 八百屋の玉という人が「玉の輿」の語源 3代将軍と京都の八百屋の娘(玉)の子供が5代将軍綱吉
- 生類憐みの令は、今までの殺戮風潮を正した効果もある
- 江戸幕府の圧制と財政悪化の中で出たのが鴻池家(現在のUFJ)、三井家(三井グループ)、住友家(住友グループ)
- 実は濃い口しょうゆより薄口しょうゆのほうが塩分が濃い
- 江戸時代は大きな荷物は水上のほうが、荷車運輸のように傷まないし便利なのでよく使われた。川も湖も全部使う
- 特に西回り航路は北陸、山陰、九州、四国、大阪を通るので江戸に向かう東回りより重要
- 東海道、中仙道、甲州街道は江戸時代からの交通で、途中に多くの宿場町がある
- 日光街道、奥州街道
- 江戸時代は貨幣の統一は中途半端
- エドは当時の世界最大の都市
- 8代吉宗と10代家治は改革したが、9代家重は言語不明瞭でばかとのと呼ばれた
- 風呂は混浴が当たり前だった
- 農作物の収穫量が例年の8割になったら凶作、7割で大凶作
- 世直し≠世の中をよくする =世均し 社会のピラミッドを崩す、平らにする ≒テロ
- 日本を開国させたのはアメリカだが、開国後にアメリカは南北戦争で後退し、貿易はイギリス中心になる
- 当時の日本は原料を輸出し、完成品を輸入する植民地型の貿易構造だが、外国の多くは内部的な反乱で日本にかまう余裕がなくなり、結果的に植民地にならずにすんだ
- JR横浜線(横浜から八王子)は日本版シルクロード
- 1860年代日本とアメリカは3000万人の人口、南北戦争の死者62万人、戊辰戦争は8000人
- 江戸を東京と改称したのは、大政奉還に対する東日本の抵抗を抑えるため東の都と号した
- 廃藩置県に抵抗した大名はない。明治政府が各大名の借金を帳消しにしたこともあり、また今は揉めてる場合じゃない自覚があったから
- 明治初期の変化 平民が苗字を使う(義務) 職業選択の自由が生まれる
- 沖縄県の設置は1879年、それまでは日中両属だった
- 1878年に郡町村制ができた。それまでは県の下は大区小区
- 1888年に市制で市ができた
- 福沢諭吉は脱亜論でアジア支配を呼びかけた、これが1万円札になっているうちは中国・韓国と友好的になるのは難しいとも言える
- 戦争予算 日清戦争:2億 日露戦争:税収が2億のときに17億 WWI:9億 太平洋戦争:1654億
- なぜこんなに予算が膨大だったかというと、日清戦争で中国から賠償金をもらって「戦争は儲かる」と思ったからだが、日露戦争では賠償金は取れず、莫大な借金が残った。
…さてそれで受験に使える知識はというとほとんど覚えていませんw どうも自分は自分で必要と思ったことしか覚えられない性格のようです。
受験サプリは社会人にとっても特に英語がオススメですよ。下手な教材買うよりカリスマ予備校講師のほうが教え方うまいですから。それで月1000円ですから本より安い。教育格差解消への信念は強く共感するところです。