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気まぐれに大まかに生きるブログ

書評:三国志

吉川英治三国志を読み終わった。

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たった8冊を読むのに1年かかってしまった。というのも仕事を始めたりなんなりで、いろいろあって余裕がなかったからだけども、学生時代によくやっていた「電車の中で移動中に読む」というのが、職場近くに住んで自転車通勤になったためにできなくなったのが大きい。とはいえ、電車通勤にしても東京だと満員電車なのでどっちにしても読めないけど。

内容は説明不要の人類絵巻というようなもので、広く読まれるのも納得できるものだった。また、長く伝わる良書にはよくあることだと思うが、書かれている内容が現代に通用する、という域を超えて、現代のために、この21世紀の日本のこととして書かれたのではないかと錯覚するほどの場所が多くあった。例をあとで挙げる。
特に、人の上に立つ者が判断に迫られたとき、必ずといっていいほど諌める人がいて、それを慮るか、退けるもしくは諌めた人を斬ってしまうかによって命運が分かれていくことや、人事を尽くしても、または窮地に陥っても、天命によって大きく展開が変わることがあること、についてが印象が強かった。

視点は劉備と、後半はかの有名な諸葛亮孔明とを中心に描かれて、曹操劉備と対峙する立場として記述されているけれども、実際若いころの曹操は勇猛果敢で古い体制に挑戦しているし、良いと思った人材もどんどん登用し、敵軍の中でさえ人物を見れば口説いて仲間にするほどの人であるので、かなり見るべき点は多い。ただ、年をとった曹操は保守的・儀礼的になり、諫言する部下を殺してしまったりと、好きではないけども。

世の中の創作では人情に厚い人、義を重んじる人が成功を収める話が多いけれども、現実はそういう人ほどカモにされやすい。
主人公格として描かれている劉備もそのうちの一人で、作中で人情が原因で失敗し、結局民衆を不幸にしてしまうことが度々あった。
義理人情が不要というわけではなく、絶対に必要なものだが、それだけではだめで、理想世界ではなく現実世界に生きるわれわれは実利を取る選択も絶対に必要になる。とはいえ、こちらだけでは何のために生きているのかわからなくなるし、線引きも難しい。
どこで線を引くべきかは自分でもまだよくわかっていない。
理想が高い人は大勢いるし、現実社会でうまくやる人も大勢いる。しかし、両方を持った人は少ない。
最近、この両方を持った人を孔子は「中庸」といったのではないか、と思うようになった。
「中庸」はよく「過不足のない」とか「バランスの取れた」とか説明されるが、それだけでは抽象的なので、左を理想、右を現実として、その中、両方を兼ね備えたものとして、
「理想が高く、しかもそれを現実世界の中で実行している」という状態を言い表したのが「中庸」という最高の誉めことばだと私は思う。
いづれにしても私が到達するには遠い概念だが。

読む速度は遅かったけれど、8巻全体を通して引き込まれるように魅力的な内容と感じながら読んだ。しかし、本の内容で特に心打たれる名言がいくつかあったので、それを以下に書き出した。これをもってこの作品の紹介に代えたい。

  • 1巻のp.89、賊が支配し、平穏な生活を送るには賊の仲間になるしかないような時代、賊を討つ有志を募集する高札を見た人の会話

    「おれなどはだめだ、武勇もなにもない、ほかの能もないし」
    「誰だって、そう能のある者ばかり集まるものか。こう書かなくては、勇ましくないからだよ」
    「なるほど」
    「憎い黄匪めを討つんだ、槍の持ち方が分からないうちは、馬の飼糧を刈っても軍の手伝いになる。おれは行く」
    ひとりがつぶやいて去ると、そのつぶやきに決心を固めたように、二人去り、三人去り、皆、城門の役所のほうへ力のある足で急いでいった。

  • 1巻p.249、戦いに勝った劉備がその母の元へ戻ったが、道半ばで理想を忘れかけていたことを咎められた場面

    「戦に勝つことは、強い豪傑ならば、誰でもすることです。そういう正しい道の妨げにも、自分自身を時折に襲ってくる弱い心にも打ち克たなければ、所詮、大事は成し遂げられるものではあるまいが」

  • 2巻p.305、乱世の戦で劉備が敗れ、食糧も財も尽きて部下の兵士が見限って備品を奪って逃げていって、大勢いた軍隊が数十人になったとき、かつて劉備と対峙した呂布からの招きに応じることを、関羽張飛に反対されたのを諭した場面

    この暗澹たる濁世にも、なお、人間の社会が獣にまで堕落しないのは、天性いかなる人間にも、一片の良心は持って生まれてきているからである。

  • 3巻p.53、勢力の強大な袁紹曹操に軍の協力を要請し、虫のいい話であると喝破した曹操の部下の郭嘉が、袁紹より曹操が優れることを10の点で比較しだし、6つまで言い終った場面

    「もうよせ」
    曹操は、笑いながら急に手を振った。
    「そうこの身の美点ばかり聞かせると、予も袁紹になるおそれがある」

  • 6巻p.134

    どんな英傑でも、年齢と境遇の推移とともに、人間の持つ平凡な弱点へひとしく落ちてしまうのは是非ないものと見える。
    昔青年時代、まだ宮門の一警手に過ぎなかったころの曹操は、胸いっぱいの志は燃えていても、地位は低く、身は貧しく、たまたま、同輩のものが、上官に媚びたり甘言につとめて、立身を計るのを見ると、(何たるさもしい男だろう)と、その心事を哀れみ、また部下の甘言を受けて、人の媚びを喜ぶ上官にはなおさら、侮蔑を感じ、その愚をわらい、その弊に唾棄したものであった。
    実に、かつての曹操は、そういう颯爽たる気概を持った青年だった。
    ところが、近来の彼はどうだろう。赤壁の役の前、観月の船上でも、うたた自己の老齢を数えていたが、老来まったく青春時代の逆境に嘯いた姿はなく、ともすれば、耳に甘い側近のことばにうごく傾向がある。
    彼もいつか、昔は侮蔑し、唾棄し、またその愚を笑った上官の地位になっていた。しかも今の彼たるや人臣の栄爵を極め、その最高にある身だけに、その巧言令色に対する歓びも受け入れ方も、とうてい、宮門警手の一上官などの比ではない。

  • 6巻p.171、孔明に匹敵する智者である龐統が人材を探し、彭義と出会った場面

    蜀に入る前は、蜀は弱しと聞いていた。国に人物なしという評も信じていた。ところが、案外である。士卒は強く、人材は多い。
    真の国力は、その国に事が起こってみないと分らない。