Programming Serendipity

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書評:カラマーゾフの兄弟

カラマーゾフの兄弟を読み終えた。

フョードル・カラマーゾフの3人の息子、ドミートリイ、イワン、アクセレイの特殊な環境に置かれた3人兄弟の、数奇な人生をたどった、最高傑作のひとつともいわれる長編小説。

作品全体を通して、19世紀ロシアの雰囲気がありありと伝わってくる。

殺人に関わる描写も現れるが、生々しく、自分が殺人犯になったような気分になる。

もし、学校に通って、勉強して、試験に合格して、卒業し、会社に入って、定年まで働いて…というルートに何も疑問を感じない人は、この小説を読むのは苦痛かもしれない。 しかし、人生とは何か、何のために生きているのか、良いこととは何か、と、答えのない、しかし最も身近な問題に向き合ったことのある人であれば、この小説から間接的に多くのことを学べるだろうと思う。

ところで、一つ興味深い点を発見したのだが、作中に芥川龍之介の「蜘蛛の糸」にそっくりの描写が現れる。 丸ごと抜粋してしまうと、以下のようになる。

中巻 p.220
むかしむかし、一人の根性まがりの女がいて、死んだのね。そして死んだ後、一つの善行も残らなかったので、守護天使はじっと立って、何か神様に報告できるような善行を思い出そうと考えているうちに、やっと思い出して、神様にこう言ったのね。あの女は野菜畑でネギを一本抜いて、乞食にやったことがありますって。すると神様はこう答えたんだわ。それなら、そのネギを取ってきて、火の池にいる女に差し伸べてやるがよい。それにつかまらせて、引っ張るのだ。もし池から女を引き出せたら、天国に入れてやるがいいし、もしネギがちぎれたら、女は今いる場所にそのままとどまらせるのだ。天使は女のところに走って、ねぎを差し伸べてやったのね。さ、女よ、これにつかまって、抜け出るがいい。そして天使はそろそろと引っ張り始めたの。ところがすっかり引き上げそうになった時、池にいた他の罪びとたちが、女が引き上げられているのを見て、一緒に引き出してもらおうと、みんなして女にしがみついたんですって。ところがその女は根性まがりなんで、足で蹴落としにかかったんだわ。「私が引き上げてもらってるんだよ、あんたたちじゃないんだ。これは私のネギだ、あんたたちのじゃないよ」女がこう言い終わった途端、ねぎはぷつんとちぎれてしまったの。そして女は火の池に落ちて、いまだに燃え続けているのよ。天使は泣き出して、立ち去ったんですって。……

…そっくりだ。かつては、芥川はこの部分を参考に『蜘蛛の糸』を書いたと信じられていたが、現在では別のものから着想を得たというのが定説になっているそう。つまり、洋の東西は違えど同じ説話が同時発生したということになり、不思議に感じるとともに、人間の共通性、普遍性に思い耽らされた。

さて、作中に現れる風刺、問いかけは19世紀ロシアの著作ではあるが、21世紀の日本にとっても意味がある、という以上に、今の日本がまさに必要としている、投げかけられるべき命題も多く含まれていると感じた。 中でも自分がとくにハッとした場面を、下に書き出した。現代の文脈にあてはめて考えると面白いかもしれない。

上巻 p.110
(女性に多く見られた精神病について)
そのころそこらの地主だちや、特に町の学校の先生などは、私の質問に答えて、こんなのはみな働きたくないばかりの仮病であり、適当な厳格さによっていつでも根治できるのだと述べ、それを裏付ける一口話を色々聞かせてくれた。だが、その後私は専門の医学者たちから聞いて驚いたのだが、これはなんや仮病でなどなく、主としてわがロシアに多く見られると思われる、恐ろしい婦人病で、何の医学的な助けもない、正常を欠く苦しいお産の後、あまりにも早く過重な労働に就くために生ずるのであり、いわば我が国の農村婦人の悲惨な運命を証明する病気だということだった。このほか、やり場のない悲しみとか、殴打とか、その他、一般の例から言っても女性の性質いかんではやはり耐えきれぬようなことが原因になるという。

上巻 p.185
お前は大きな悲しみを見ることだろうが、その悲しみの中で幸せになれるだろう。悲しみのうちに幸せを求めよ――これがお前への遺言だ。

上巻 p.305
(グリゴーリイが幼少のスメルジャコフを育てる中で)
グリゴーリイは彼に読み書きを教え、十二歳になると、宗教史を教えにかかった。しかし、この仕事はすぐに不毛に終わった。ある日、それもせいぜい二回目か三回目の勉強の時、少年が突然せせら笑ったのである。 「どうしたい?」眼鏡の奥から怖い目で見つめて、グリゴーリイは尋ねた。
「いえ、別に。ただ、神様が世界を作ったのは最初の日で、太陽や月や星は四日目なんでしょ。だったら、最初の日にはどこから光が差したんですかね?」
グリゴーリイは茫然とした。少年は小ばかにしたように先生を眺めていた。そのまなざしには何か不遜な色さえあった。グリゴーリイは我慢できずに、「ここからだ!」と叫ぶなり、生徒の頬を激しく殴りつけた。少年は口答え一つせずに、頬びんたをこらえたが、また何日間か片隅に潜り込んでしまった。

上巻 p.578
「人生の意味より、人生そのものを愛せ、というわけか?」

中巻 p.125
人間は正しい人の堕落と恥辱を好むからである。

下巻 p.41
(犬がお互いに臭いをかぎあう習性を滑稽とスムーロフが評したことに対して)
こっけいでなんかないさ、それは君が正しくないよ。偏見を持つ人間の目にたとえどう映ろうと、自然界には滑稽なものなんか何一つないさ。仮に犬たちが判断したり、批判したりできるとしたら、きっと、自分たちの支配者である人間の、相互の社会関係に、たとえはるかにたくさんとは言わぬまでも、同じくらい滑稽な点を見出すだろうよ、ずっとたくさんとは言わぬまでもね。僕がこう繰り返すのも、つまり僕は人間たちの間に愚劣なことがずっと多いと固く信じているからなんだ。これはラキーチンの考えだけど、注目すべき考えだよ。

下巻 p.102
「それにまた、現在僕らのやっているギリシャラテン語だってそうですよ。あんなものは狂気の沙汰以外の何物でもありませんよ……カラマーゾフさん、あなたはまた僕に同意してくださらないようですね?」
「同意できませんね」アリョーシャは控えめな微笑を浮かべた。
「ああいう古典語なんて、もし僕の意見をすっかりお聞きになりたけりゃ言いますけど、あれは警察の学生対策ですよ、もっぱらそのために設けられたんです」不意にまたコーリャは、次第に息を切らせ始めた。「あれが必修になったのは、退屈だからです、才能を鈍らせるからですよ。退屈だったものを、もっと退屈にするにはどうすればいいか?ナンセンスだったものを、もっとナンセンスにするにはどうすればいいか?そこで古典語の授業を思いついたってわけです、これが古典語についての僕の考えですし、この考えを僕は決して変えないと思いますよ」コーリャは語気鋭く結んだ。両頬にさっと血が上って赤い点を作った。
「異議なし」おとなしく聞いていたスムーロフが突然、確信に満ちた甲高い声で同意した。
「それでも当人はラテン語じゃ一番なんだよ!」不意に少年たちの一人が叫んだ。
「そうだよ、パパ、自分はああいってるけど、ラテン語ではクラスでトップなんだから」イリューシャも応じた。
「それがどうなんだい?」この賞賛も非常に快いものではあったけれど、コーリャは自衛の必要を認めた。「僕がラテン語を暗記するのは、そうしなけりゃならないからだし、学校を卒業するとお母さんに約束したからだよ、それに僕に言わせると、いったん取り組んだからには、ちゃんとやるべきだからね。でも心の奥底ではあんな古典主義や、ああいう卑劣なものはすべて軽蔑しているんだ……賛成できませんか、カラマーゾフさん?」

下巻 p.584
子供を作っただけではまだ父親でないことや、父親とは子供をもうけて、父たるにふさわしいことをしたものであることを、率直に言おうではありませんか。

…実に、今読んでも新鮮に感じられることばかりである。名作といわれるのもよくわかる。

罪と罰』を読んだ時もそうだったが、読んでいると感動が沸き起こる。しかもその感動は、悲しいストーリーからくる味付けされた感動ではなく、内側から、魂を震わせるような感動で、とても不思議な感覚である。

とはいえ、上中下3巻で各500~600ページずつで、しかも改行が少なく、ほとんどのページに文字がびっしりなので、挫折しやすい。私もブランクを入れながら半年くらいかけて読了した。

もう少しスムーズに本が読めるといいのだが…。